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  • 24、松﨑コレクションの古筆

    24-1、「高野切」第二種

     

    松﨑コレクションの古筆は全57件。小松茂美編『古筆学大成』や『日本名筆選』、『日本名跡叢刊』に掲載されているものがあり、なかには印刷物としても発行されていないものも。松﨑コレクションのひとつの特徴として、まくりのものが非常に多くあります。表だけではなくて裏側にも面白い情報があり、まくりの方が手元において近くで見られるため、わざわざ軸になっていないものを松﨑父子は好んで購入されています。まくりのものは全体を「衣手」と名付け、桐箱に収めました。また、古筆手鑑「濱千鳥」が1件。こちらには160葉の断簡が収められ、「関戸本古今集」や「筋切」などの名筆が押されています。松﨑コレクションの概要については、ブログ12-1をご参照ください。

     

    平安古筆の代表的なものといえば「高野切」
    松﨑コレクションには「高野切」第二種の一幅があります。

     

     

     

    清楚な輝きを放つ雲母砂子を一面に撒いた紙は上品で、角度を変えて見ると雲母は一瞬にして輝きを増します。

     

     

    『古今和歌集』巻第三夏歌の紀利貞の歌「あはれてふことをあまたにやらしとやはるにおくれてひとりさくらむ」一首が書かれ、附属する山本行範による略解には「古今集三の巻夏歌にある遅桜の歌なり。意はあゝ見事なりと人の賞美する詞を他のあまたの花にはわかちやるまい。只我ひとりその賞美を受けむとおもひてそのために他の花の咲き競ふ春といふ時節におくられてわざと夏になりて後我ひとりさくならむかとおそさくらの花の心を推量してよめる歌にて末句のひとりさくらむといふところにさくらの名をかくし入れたり。」とあります。

     

     

    こちらは二重箱になっており、内箱には山本行範の手による極め付き。また、蓋裏には古筆了延と思われる極札が貼ってあります。昭和16年に重要美術品に指定されたものです。

     

     

      

     

     

    春名好重『古筆大辞典』(淡交社)には第二種について「仮名は大部分が右に傾斜している。しかし漢字は傾斜していない。仮名には大きく書く文字と小さく書く文字とがあるが、文字の大きさの差はほとんどない。(中略)巻三、夏歌「あはれてふことをあまたにやらしとやはるにおくれてひとりさくらむ」は行が右に傾斜している」と文中にこの一葉を取り上げています。

     

    今日、諸家に分蔵される「高野切」は、『古今和歌集』の撰者のひとりである紀貫之を伝称筆者としていますが、今回ご紹介する第二種は、平等院鳳凰堂の扉色紙形と同筆と認められることなどから源兼行の筆と知られています。同系統の古筆には伝紀貫之筆「桂本万葉集」、伝藤原行成筆「雲紙本和漢朗詠集」、「関戸本和漢朗詠集」などがあり、側筆から生み出されるねばり強い重厚な線が特徴で、個性的な書風を展開しています。

    流麗でありながら、枯れた味わいのある筆致は料紙と相まって美しく、今回ご紹介した一幅はわずか三行の和歌一首を揮毫した断簡ですが、上代様の雅な風が漂う名品です。(田村彩華)

     

    【掲載作品】成田山書道美術館蔵 松﨑コレクション
    伝紀貫之筆 高野切第二種 一幅 平安時代 彩箋墨書 24.9×5.7㎝ 重要美術品

  • 24、松﨑コレクションの古筆

    24-2、「関戸本古今集」

     

     

     

    関戸本古今集は、もとは上下二冊の糸で綴じた綴葉装の冊子本で、『古今和歌集』二十巻を書写したもの。この断簡は右頁にあたるもので、左側に綴じ穴の跡が確認できます。もとは両面に書写したもので、一枚の紙を薄く二枚にあい剥ぎしています。その跡が中央や左下あたりに確認できるでしょう。

     

    藤原行成(972-1027)の筆跡と伝えられていますが、実際の書写年代はこれより後のもの。藤原行成と伝称される古筆には「曼殊院本古今集」「伊予切」「針切」「升色紙」などと数多くありますが、それらとは趣が異なり同筆の古筆は確認できません。

     

    現在確認できる「関戸本古今集」は、27紙の不完全な形で残る零本と、その零本からわかれた断簡、また古くから断簡として伝わっていたものがあります。現在私たちが目にするものは掛幅になっているものが多く、40枚ほどが伝わり、諸家や美術館などに分蔵されています。料紙は、紫、茶、黄、緑など色とりどりの染紙を濃淡二枚ずつ重ねて一折とし、順に色味を変えて美しいです。

    今回ご紹介する断簡は淡い紫色で、赤く染まる蘇芳や茜などの染料で浸け染めした可能性があります。さらに媒染をしたり、藍をかけたりすることによって紫色に染まったのではないかと考えられます。時代の流れのなかで変色することも想像され、はっきりとしたことは断言できませんが、実際に蘇芳を用いて浸け染めしたところ、近い色味だと感じます。蘇芳は、飛鳥時代から輸入され、公家の衣服などの染色に使用されており、紙も同様に染料として用いられた可能性は高いと思われます。

     

    右:本紙 左:蘇芳染め(鉄媒染)

     

    染紙の歴史は古く、奈良時代からおこなわれてきました。『正倉院文書』には、縹紙、浅縹紙、深縹紙、浅緑紙、深緑紙、滅紫紙、紫紙などの染紙の名が見受けられ、一色のなかにも、浅、滅、深と別けられています。奈良時代に完成された染紙は、平安時代に受け継がれていったのです。
    料紙制作において紙を染める工程は基本で、それから様々な加工を施していきます。染めただけのシンプルな料紙のこの関戸本は、染紙の古筆の代表的なもののひとつでしょう。

     

     

    一部が名古屋の関戸家に伝わったことからこの名で呼ばれているように、この一幅も、「松下軒」とある箱書きから関戸松下軒のものだったことがわかります。戦後関戸家から分割され、このような掛軸に仕立てられたのでしょう。

     

    装丁は太巻きになっており、巻の強さをやわらげ、本紙に負担のないよう配慮されています。

     

    今回ご紹介したこの関戸本古今集は、そのなかでも魅力的な一葉です。

    整った字形に抑揚のある筆づかいを展開させた文字は抜群で、秋の歌を2首、詠者と和歌とが区切れよく収まっています。その歌と調和するようになじんだ淡い紫の染紙は品が良く、軸装の仕立てもきれいで状態の良いものです。文字も、体裁も、紙も、表具も良い、注目の一幅といっていいでしょう。(田村彩華)

     

     

    【掲載作品】成田山書道美術館蔵 松﨑コレクション
    伝藤原行成筆 関戸本古今集 平安時代 彩箋墨書 21.0×17.4㎝

     

     

  • 24、松﨑コレクションの古筆

    24-3、「石山切」伊勢集、貫之集下

     

     

    古筆№37石山切伊勢集

     

    「本願寺本三十六人家集」のなかの一集にあたる「伊勢集」は、先に紹介した「関戸本古今集」に通じる書風で、抑揚のある運筆で書き進められています。

    もとは粘葉装の冊子本で両面に書写されています。この一葉は、二重複丸唐草文の文様がはっきりと見え、唐紙の表面に書写されたもの。冊子本の右頁にあたり、左側に糊の跡が確認できると思います。この裏にあたる断簡は軸に仕立てられ、東京国立博物館に収められています。

     

     

    「石山切」は、昭和4年、女子宗教大学校創設の資金にあてるための手段として分割されました。本願寺の大谷尊由と益田鈍翁(1847-1938)との相談の結果、「本願寺本三十六人家集」のうち特に豪華な料紙装飾が施された「貫之集」下および「伊勢集」の2帖を分割することになったのです。鈍翁は、本願寺がかつて大坂の石山にあったことにちなみ、これらの断簡を「石山切」と命名します。この一幅にも、昭和5年、益田鈍翁による箱書きがあります。

     

     

     

    表具にも豪華な裂を用意して意匠を凝らし、箱も二重、三重に仕立てられているものもあります。

     

     

    松﨑コレクションには「石山切」伊勢集がもう一幅あり、こちらには松﨑中正先生による箱書きがついています。「本願寺本三十六人家集」に魅了され、複製制作も手掛けた父春川を想い、したためたようです。

     

    古筆№36石山切伊勢集

     

     

    (箱書き)古筆をこよなく愛せし春川を偲びて 平成二十八年としの暮 男中正しるす

     

    さらに、「石山切」貫之集下も一葉あります。

    古筆№38石山切貫之集下

    こちらは世尊寺家五代目、藤原定信の25、6歳の若書きとされるもの。右肩上がりの字形に筆勢のあるリズミカルな筆致が特徴で、料紙とも調和しています。

     

    こうした貴重な文化財の切断は、当時の姿を変えてしまい心苦しく思いますが、戦争や災害などが起こると、一纏めにしておくことによってすべてが失われてしまう恐れもあります。切断して分蔵されていたからこそ遺ったものもあり、多くの人々の眼にふれるきっかけにもなりました。
    典雅な料紙と流麗な書があいまった「石山切」は、現在もなお多くの人々の心を魅了しています。(田村彩華)

     

    【掲載作品】成田山書道美術館蔵 松﨑コレクション
    古筆№36 伝藤原公任筆 石山切伊勢集 一幅 平安時代 彩箋墨書 20.3×16.1㎝ 重要美術品
    古筆№37 伝藤原公任筆 石山切伊勢集 一幅 平安時代 彩箋墨書 20.0×15.9㎝
    古筆№38 藤原定信筆 石山切貫之集下 一葉 平安時代 彩箋墨書 20.0×15.8㎝ 重要美術品
    ※番号は『青鳥居清賞 松﨑コレクションの古筆と古写経』図録と対応しています。

  • 24、松﨑コレクションの古筆

    24-4、「法輪寺切」

     

     

    青鳥居主人松﨑中正先生は、この「法輪寺切」を「コレクション随一才色兼備楊貴妃」と評しています。

    「法輪寺切」は『和漢朗詠集』を書写した断簡で、こちらは漢詩部分の5行。藤原行成筆と伝称されていますが、それよりも時代の降った11世紀頃の書写と考えられています。
    淡藍色の紙に藍、紫の羅紋の飛雲を大きく施したこの装飾は「法輪寺切」のほかには見られない珍しいものです。

     

    さらに、雲母砂子を一面に撒いています。しかし、よくみると4行目の4文字「猶引摂甚」の部分には雲母が確認できません。文字を間違え、その部分だけを削って改めて書き直したのでしょうか。

     

    「法輪寺切」と同筆とされる古筆には、伝紀貫之筆「高野切」第三種、伝藤原行成筆「蓬莱切」、伝藤原行成筆「粘葉本和漢朗詠集」、伝藤原行成筆「伊予切」などがあり、どれも端正な字形のものです。そのうち『和漢朗詠集』を書いたものが「法輪寺切」、「粘葉本」、「伊予切」と3件あります。小ぶりでやや扁平な字形の「粘葉本」、それに比べ文字の崩しや表現に自由さが見られる「伊予切」、それらと比較すると「法輪寺切」は、高さ30センチほどの紙に堂々と書写され、落ち着いた表情を見せています。冒頭に紹介した中正先生の評価には納得できます。

     

    この一幅を購入した松﨑春川は、箱書きを蒔絵にしています。

     

     

    「法輪寺切」は筆跡が優れているだけでなく、珍しい羅紋が施された料紙にも特徴があり、類例のない注目の古筆切です。(田村彩華)

     

    【掲載作品】成田山書道美術館蔵 松﨑コレクション
    伝藤原行成筆 法輪寺切 和漢朗詠集 一幅 平安時代 彩箋墨書 27.9×10.7㎝

  • 24、松﨑コレクションの古筆

    24-5、まくりの断簡「衣手」

    松﨑コレクションの古筆のうちまくりのものは27 件。それらを新調した桐箱に収めています。

      

    桐箱に合わせた中性紙を用意し、一葉ごとに本紙の大きさに応じて窓をあけ、その枠は取り外しができるようにしています。本紙に負担の無いよう配慮し、そのままの状態で収納、展示できるようにしました。

     

    さて、まくりのもの一括して「衣手」と名付けたのは、春川が出合ったこの「栂尾切」の冒頭に「衣手乃…」とあることに由来しています。

     

    古筆№20「栂尾切」

    もともとまくりの断簡は「衣手」と名付けた箱(現在とは別の箱)に収めて大切に保管されていました。将来は手鑑にとの想いもあったようで、この「栂尾切」は記念すべき第一号。特に愛着のあるものだったのでしょう。

     

    白、黄、縹、淡紫、草、朽葉などの色とりどりの染紙を交用し、さらに金銀泥で蝶、鳥、流水、草花などを描いた下絵が特徴で、この断簡にも流水、草花が見受けられます。

     

    筆者は、源兼行または宗尊親王と伝称されますが、今日では源兼行とする説が一般的です。ブログ24-1で紹介した「高野切」第二種や、「関戸本和漢朗詠集切」、「雲紙本和漢朗詠集」などと同筆のもの。紙背継ぎ目に施された花押により伏見天皇の遺愛の品であったことが知られ、桃山時代には加賀の前田家に。その後桂宮家に伝来したため「桂本万葉集」と呼ばれています。現在は宮内庁に保管され、巻四の断簡を「栂尾切」と呼び、これは貴重な一葉です。

     

     

    「針切」

    古筆№41「針切」

     

    針のように細く鋭い筆致から「針切」と呼ばれ、小ぶりな文字を軽快なリズムで書き進めています。女手が爛熟期を迎え、個性的な表現が生まれてくる11世紀後半から12世紀ころのものでしょう。

    こちらは、『墨美』40号、『伝藤原行成筆針切』(書芸文化新社)、『日本名跡叢刊』90、『古筆学大成』19、『日本名筆選25 針切 和泉式部続集切』などの多くの文献に掲載されている断簡で、臨書したことのある方も多いのではないでしょうか。
    まくりの状態なので裏側も、虫喰いの箇所も鮮明にみえます。

     

     

    藤原定家筆「歌合切」

    古筆№49藤原定家筆「歌合切」

     

    これは源通具と藤原俊成女夫妻の五十番からなる歌合の断簡で、もとは冊子本だったのでしょう。
    右下に加えられた部分の周囲には損傷の跡があり、別のところにあったもの移してはめ込んだ可能性があります。

     

    定家特有の奇癖が強く打ち出される以前(40歳ころ)の若い時期の筆跡で、リズミカルにそして自由に筆を運んでいます。
    ツレは15葉確認でき、東京国立博物館の一幅がよく知られています。

     

    藤原定家筆「歌合切」東京国立博物館蔵

     

    『かなの鑑賞基礎知識』表紙より転載

     

    このほかにも「衣手」には、伝藤原俊成筆「顕広切」、伝藤原為家筆「北野切」、伝藤原定頼筆「烏丸切」、伝藤原定頼筆「下絵拾遺抄切」、伝藤原行成筆「伊予切」、伝世尊寺行能筆「和漢朗詠集切」、伝藤原忠家筆「柏木切」、伝藤原俊忠筆「二条切」、藤原定家筆「大記録切」(明月記切)などがあります。(田村彩華)

     

    【掲載作品】成田山書道美術館 松﨑コレクション
    古筆№20 伝源順筆 栂尾切 一葉 平安時代 彩箋墨書 20.6×12.3㎝
    古筆№41 伝藤原行成筆 針切 一葉 平安時代 彩箋墨書 22.4×15.3㎝
    古筆№49 藤原定家筆 歌合切 一葉 鎌倉時代 紙本墨書 23.3×28.5㎝
    ※番号は『青鳥居清賞 松﨑コレクションの古筆と古写経』図録と対応しています。

  • 24、松﨑コレクションの古筆

    24-6、古筆手鑑『濱千鳥』

     

    表に78葉、裏に82葉、合計160葉もの古筆や古写経が収められた『濱千鳥』は、ブログ№12で紹介した古写経手鑑『穂高』とともに青鳥居(松﨑コレクション)を象徴する手鑑です。

    松﨑春川が10年あまり待ち焦がれ、昭和44年にようやく手にした念願の手鑑。佐野常民旧蔵と伝え聞き、満を持して購入したそうです。春川による「子々孫々宝蔵すべし」との書きつけがあり、さらに、この『濱千鳥』を詠んだ漢詩を条幅に揮毫しています。青鳥居でいかに愛蔵されてきたか、その想いが伝わってきます。

    手鑑は江戸時代ころの仕立てと思われますが、中正先生はこの手鑑を50年あまり手元において、平成22年まで改編の手を加えました。空いているところに新たに獲得した断簡を貼ったり貼り代えたりしています。まさに父子二代にわたって賞翫されてきた『濱千鳥』は松﨑コレクションの白眉といえるでしょう。

     

    手鑑を作るとなると、多くの枚数を用意しなければならず、近年のものや短冊などを収めて分量を増やそうとすることがあります。しかし、この手鑑はそういったことはなく、短冊もほとんどありません。有名手鑑にあるような「高野切」や「寸松庵色紙」といった名筆はありませんが、「関戸本古今集」をはじめ、「筋切」や「烏丸切」、「民部切」などの有名な古筆が含まれています。さらに注目すべきは、伏見天皇や藤原俊成、定家、歴代の世尊寺家をはじめとする鎌倉から南北朝時代にかけての書跡が充実していることです。今後、研究を進めていくと、現在は伝称筆者のものが自筆と判明するものがあるかもしれません。

     

    「唐子切」

    濱千鳥№74「唐子切」

     

    こちらは唐子が摺り出された唐紙に、『古今和歌集』を書写したもの。切名は料紙にちなんで「唐子切」と名付けられています(「鶉切」ともいう)。もとは冊子本でした。松﨑コレクションには「唐子切」がもう一葉あります。この一幅と濱千鳥の断簡は歌が連続し、もともと冊子本の左右の頁にあったものなのです。

     

     

     

    ある時期に切断され、唐子は2人ずつ離れ離れになったわけですが、それが松﨑邸(青鳥居)で再会しました。引き寄せられたかのように、縁を感じます。
    もとは見開きでこのような姿だったのです。

     

     

    ならべてみると、来歴が異なるために、料紙の色合いに差があることがよくわかります。
    『古今和歌集』巻十七雑歌上909番から915番までの歌をこの見開き頁に区切りよく収めようとしたのでしょうか。書き進めるに従って行間は狭くなり追い込んで書いています。
    文字の大小や線の太細、墨の潤渇の変化に富み、所々に大胆に伸ばす線が見受けられ、軽快な運筆で書き進めます。藤原顕輔の筆と伝えられていますが、やや時代の降った鎌倉時代初期ころのものでしょう。

     

     

    「八幡切」

    濱千鳥№43「八幡切」

     

    紙面上下に藍色の打曇のある料紙に『千載和歌集』巻第七離別を書写した断簡で、もとは綴葉装の冊子本だったようです。このほかに紫色の雲紙も用い、『後拾遺和歌集』を書写したものも伝存します。

    平安朝の懐の広い整斉な字形でゆったりとした穏やかな趣のある書風。平安時代末から鎌倉時代にかけて個性的な書風が展開されるなかで、温和な上代様の趣を受け継いだものといえるでしょう。ツレの断簡は「見ぬ世の友」、「翰墨城」、「藻塩草」、「大手鑑」などの手鑑にも押され、数多く伝存しています。

    筆者の飛鳥井雅有は、雅経の孫にあたり、自ら家集を手掛け、歌人としても優れた人物。近年の研究で、雅有の自筆稿本とこの「八幡切」は同筆と認められ、古筆家の極めのとおり雅有の自筆と知られています。
    上代様の趣のある筆跡と温かみのある淡い雲紙とがあいまって、静かな表情をみせる「八幡切」。鎌倉時代の仮名の名品と言えそうです。(田村彩華)

     

    【掲載作品】成田山書道美術館 松﨑コレクション
    古筆手鑑『濱千鳥』 縦40.5×横32.2×厚さ10.9㎝
    濱千鳥№74 伝藤原顕輔筆 唐子切 鎌倉時代 彩箋墨書 24.4×16.4㎝
    古筆№11 伝藤原顕輔筆 唐子切 一幅 鎌倉時代 彩箋墨書 24.0×16.3㎝
    濱千鳥43 飛鳥井雅有筆 八幡切 鎌倉時代 彩箋墨書 23.5×16.0㎝
    ※番号は『青鳥居清賞 松﨑コレクションの古筆と古写経』図録と対応しています。