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  • 26、伊藤鳳雲とそのコレクション

    26-1、伊藤鳳雲 現代のかな書を考察する

     

    近現代の日本の書を中心に6000点の作品を収蔵している当館ですが、その中でも伊藤鳳雲先生の作品とその愛蔵の書跡のコレクションは、作家伊藤鳳雲の書の軌跡を辿る上で極めてまとまった資料だといえるでしょう。先生の没後もこのコレクションを維持し、ご寄贈くださったご遺族とご門下の皆様に改めて敬意を表したいと思います。

     

     

    30代も半ばを過ぎてから写経の名手で早くから大字かなにも積極的に取り組んだ田中塊堂につき、書を志した鳳雲は早くも昭和33年に日展に初入選し、数年で頭角を現します。

    この頃、かな書は現代的な壁面芸術の世界に対応する潮流が顕著になっていました。古典的思想が強かった重鎮の尾上柴舟が亡くなった翌年の日展初入選に運命を感じます。

    鳳雲の作品をご紹介します。

    ※1

     

    いろは歌を平がなのみで書き上げたこの作は、行間を大きく取り、鳳雲が「光のある書」と提唱したように余白が生きた明るい趣を感じます。要所のカスレもまた空間を意識する一助となっています。かなのみで表現しつつ、キレのある筆遣いで書き進められた書は、漢字に負けない存在感を表しています。

     

    かな書苑 創刊号

     

    伊藤鳳雲「一画二折法」

     

    鳳雲は大字にしたかなに漢字に負けない存在感を持たせるため、一画の中に節をつける「一画二折法」を提唱しました。この作にはその特徴がよく表れています。

     

     

    もう一点、ほぼ同じ体裁の四曲屏風にこちらは万葉かなを用いていろは歌を揮毫しています。虎皮箋に濃墨でやや抒情的に書かれた、深みのある作品です。

     

    ※2

     

    書表現の限りない可能性を指し示しているようです。

     

    2点のいろは歌はともに正月の現代書道二十人展の出品作として、広範なレベルでの書愛好者を意識して制作されました。かな書の醍醐味である連綿を抑え、読みやすさへの配慮を窺わせつつも厳しく生きのいい線質が大人の風を醸し出しています。気脈の通じた書き振りは、師の田中塊堂が『かな研究』創刊号の巻頭言で言及した「言葉の律動」に通じる思想を感じます。

    かなの初学者が学ぶいろは歌を敢えて題材に選び、作品に仕上げてしまう。伊藤鳳雲の作家としての技量の高さが現れた作だと感じます。(山﨑亮)

     

    【掲載収蔵作品】

    ※1伊藤鳳雲 いろは歌 四曲半双屏風 各45.0cm×58.5cm  紙本墨書 平成元年現代書道二十人展出品作 伊藤鳳雲氏寄贈

    ※2伊藤鳳雲 いろは歌 四曲半双屏風 各46.0cm×59.2cm 紙本墨書 140.9×56.5cm  平成5年現代書道二十人展出品作 伊藤泰氏寄贈

  • 26、伊藤鳳雲とそのコレクション

    26-2、伊藤鳳雲 「三穂の浦」「わが家の」

     

    日展に書が第五科として加わってから、十四年目を迎えた昭和三十五年。この年、仮名作家にとって晴天の霹靂とも言うべき出来事がありました。当時、仮名作品は巻子や帖が出品の九割を占める傾向にあった中で、出品規定が大幅に改訂されたのです。その内容は「横巻、折り帖等は受付けない」というものでした。

    同じ年に伊藤鳳雲が創刊した『かな研究』には、「新しい時代の作品形式に合った新しい時代のかなが要求されることになる」ことを伝えます。また、その巻頭には日展に書が参画した時から大字仮名を出品していた田中塊堂の言葉と論考を巻頭に据えます。当館の鳳雲のコレクションは、大字仮名の胎動期からの日展の受賞作を含む、昭和三十年代から最晩年までの変遷を辿れるものです。それらは当人の書歴のみならず、大字仮名が展覧会制度によっていかに進展したのかをひも解く資料でもあります。鳳雲は現代の作品の在り方を「一作一作、作品を通して実証してみせること」と語ります。それらには現代における大字仮名を象徴する作品が、含まれているのです。

     

     

    こちらは、平成十一年の現代書道二十人展に出品された作品です。形式は、伝統的な和漢朗詠集の書式を思わせます。伝統的に踏襲されてきた形式でありながら表現は現代的で、最晩年の鳳雲が示した一つの到達点として捉えることができます。

    右隻の漢字の結構は懐が広く、筆意は雁塔聖教序などの唐初の楷書や王羲之に連なる帖学的な古典に求めたように見え、和様の穏やかな風とは一線を画した複雑な筆法です。左隻の縦への流れを強調した流麗な仮名は、王鐸や傳山の章法も参考にしているようです。軟らかな長鋒を用い、穂先を効かせながら強く粘りのある線によって、「言葉の律動」を形に留めつつも、ますらおぶりな仮名の表現を可能にしています。

    鳳雲は師である田中塊堂とともに新しいかな表現を模索し、西村桂洲に漢字も学びました。約四十年を経て、鳳雲の仮名の新たな表現が一つの到達点に達したことを、この作品を通して示したのではないでしょうか。漢字と大字仮名を並行させた表現を可能にしたことは、大字仮名が漢字と同等の表現性を獲得した証といえます。

     

    また、現代性を追究した鳳雲は「字形、線質ならびに行の構成などを、現代の一般の人に納得してもらえるように研究して行きたい」と語り、「光のある書」を掲げながら、余白の生きたさわやかで明るい作品を意識的に制作しています。

     

    “光のある書“は、白の部分を重んじることに発する。字形のふところを広くし、作品全体を明るくする。渇筆の線も余白と同じ効果を発揮することに留意したい。運筆の緩急を重んじ、線に律動を与え、時間的な流れを線に与える。連綿線はむしろ少なくし、意連を重んじる。細めの線を効果的に用いる。この結果として、筆画の黒とそのまわりにある白との対照に妙味が出て、”光のある書“が生まれるのだ。

     

     

    こちらの自詠歌は、自宅の庭に咲き誇る百日紅の花をモチーフにしています。仮名表現による漢字仮名交じりの書作品といえます。読みやすさを前面に出しながら、鳳雲が主張した「一画二折法」が「の」や「わ」の仮名によく表れています(昭和60年の「かな書苑1」)。この作品は一字一字の表情を大切にして仕上げる作品として敢えて「かなの連綿というものに反発して、連綿しないかなの作品」です。このような時代にふさわしい作品も手掛けています。

     

    当館には鳳雲旧蔵の古筆のコレクションもあります。それらは鳳雲の原点が桃山文化にあることを物語ります。昭和35年に鳳雲が創刊した雑誌『かな研究』においては競書よりも純粋な仮名文化について学術的に研究討論することを重んじました。寛永の三筆とその周辺に象徴されるような、和歌が漢字仮名交じりで大ぶりに書かれるようになるという大変革を遂げた桃山文化を鳳雲は理想に掲げました。その革新を戦後の仮名の変革期に重ねて、自らも昭和時代の新たな書の創造者になろうとしたのでしょう。(谷本真里)

     

     

     

    【所蔵掲載作品】
    「三穂の浦」(万葉集) 平成十一年第四十三回現代書道二十人展 彩箋墨書 二曲半双 各109.0×34.0
    「わが家の」(自詠) 平成七年千草会書展 紙本墨書 一面 82.1×89.7

  • 26、伊藤鳳雲とそのコレクション

    26-3、コレクション

     

    伊藤鳳雲は古筆や古写経、江戸時代の本阿弥光悦、近衛信尹などの書を愛好し、蒐集していました。特に、江戸時代初期の書状や懐紙などの人情味のある表現を好んだのでしょう。その要素を作品にも取り入れたようです。

     

    鳳雲は「大聖武」、「二月堂焼経」、「紺紙金字法華経」と整斉な楷書で書かれた写経を手元に置いていました。師田中塊堂ゆずりの古写経愛好の一端をうかがうことができます。

     

    ※1 二月堂焼経

     

     

    紹介する「二月堂焼経」は、東大寺で行われる修二会の火災で天地が焼損したことからこの名が付けられました。(「二月堂焼経」の解説はブログ№12-4をご覧ください)
    この断簡も上部が半分ほど失われ、江戸時代に補修された紺紙が広く残っています。軸の状態も良い一幅です。鳳雲が箱書きを施しています。

     

     

     

    また、古筆は伝藤原俊忠筆「二十巻本歌合切」、藤原俊成筆「日野切」、伝二条為世筆「萬代切」など平安時代末期から鎌倉時代にかけて独自の風が認められるころのものが多く確認できます。鳳雲は『かな研究』で毎号古筆を紹介しており、大字仮名を学ぶにも古筆が基本だと述べ、自身もこうした古筆を手元に置いていました。

     

    ※2 久安切

     

     

    この藤原俊成筆「久安切」は現存する断簡が少なく珍しいもの。俊成晩年の筆跡と思われ、大ぶりの文字は奇癖に富んでいます。二重箱に収められ、内箱には有職故実の研究者で能書として知られる出雲路敬通の箱書きがあります。

     

     

     

    鳳雲は桃山時代の書を特に好み、そのコレクションも充実しています。

     

    ※3 本阿弥光悦「書状」

     

     

    書画や美術工芸品の創作活動を率いた本阿弥光悦(1558-1637)は、江戸時代初期、寛永文化を代表する存在。書だけでなく、絵画や漆、陶磁器などを手掛けたことでも知られています(確かなのは書と陶磁器だけ)。俵屋宗達による下絵を施した華やかな料紙に筆を走らせ、独特の世界を表現した「鶴図下絵和歌巻」は、光悦の書の代表作としてあげられるでしょう。

    一方で今回紹介する書状は、宗達の料紙の世界とは異なる素紙で、日常の光悦の書が垣間見られます。膳所に向かう日を問い合わせた手紙で、慎重な筆運びです。時折筆が滞るように見受けられるのは、50代後半に患った中風の影響からかもしれません。

    鳳雲は、光悦について「大画面主義に通ずるものがあり、装飾に富んだ新しい感覚をもった人」(『かな研究』2)と述べます。桃山美術のなかでも特に障屏画に注目した鳳雲は、その構想が近代的であり、大きな画面を一層豪華にしている点において圧倒的な感銘を受けたといいます。その時代の空気のなかにいた光悦に心惹かれ、その書だけでなく、多岐にわたる仕事にも関心を抱いていたようです。「光悦の字そのものを真似るというよりは、あの雰囲気を真似したいと思いますし、消息等もとてもいいと感じます」(『寛永の三筆について』平成12年)と鳳雲はいいます。
    光悦の書状の簡素な趣は、枯れた水墨画を連想させ、その雰囲気を鳳雲は好み求めたのでしょう。

     

     

    次に紹介するのは、光悦と近い関係にあり、書風がそっくりな伝角倉素庵(1571-1632)の「後撰和歌集巻」です。

     

    ※4 伝角倉素庵「後撰和歌集巻」

     

     

    線の太細、文字の大小の変化に富んだ自由闊達な風は光悦と見分けがつかないほどよく似ています。素庵は光悦の門下とも言われていますが、パトロン的な役割を果たした人物でもあることから、光悦が素庵の風を学んだとの見解も。この作に署名はないものの、箱書きや極札には「角倉素庵筆」とあり鳳雲も素庵の筆と認めています。

     

    伝角倉素庵「後撰和歌集巻」箱書き 左:表 中央:裏 右:裏の極札の拡大

     

    藍、黄などの染紙に、表は藤や梅枝など大柄で絵画的な文様を、裏には雷文や七宝繋などの小柄な幾何学文様などを一面にまんべんなく雲母で摺り出した料紙は、平安時代の繊細で優美な料紙とはまた異なった華やかさがあり、文字ともよく合っています。継ぎ目には「紙師宗二」の黒印が確認でき、この料紙にも俵屋宗達の存在が関係しているものと考えられます。

     

    伝角倉素案「後撰和歌集巻」紙背

     

    「紙師宗二」の黒印

     

     

    こちらも料紙のきれいな作、寛永の三筆のひとり、近衛信尹(1565-1614)の作品です。

     

     

     

     

    鳳雲は、「かなの大字の先駆者は近衛信尹である。その筆致はきわめて奔放で、流麗なかなの中に豪快な気象をもり込み、しかも書品の高いことは全く敬服せざるを得ない」(『かな研究』2号)と評し、一目置いていました。藤原定家や禅林墨跡などの書をもとに自ら開拓した書風で、肉太の線と扁平な文字が特徴的な三藐院流。
    金銀泥で月や草花などを描いた料紙に、慶長19年5月に古田織部とのあいだで行われた百韻連歌を信尹が書写したもので、後に巻子本に仕立てられています。一紙ずつ書いてから継ぎ合わせますので、紙継ぎ直前は行を追い込んで書いています。
    信尹は同年11月に、織部は翌年に死去しており、二人の最晩年の作。その二人の親しい交友関係を知ることのできる貴重な一巻です。

     

     

    今回は数点の紹介になってしまいましたが、このほかにも武野紹鴎、沢庵宗彭、烏丸光廣、近衛信尋などの書状や懐紙、村上華岳、富田渓仙の絵画、呉昌碩の画賛などがあります。これらのコレクションからは鳳雲の嗜好が見え、書斎で愛でるとともに、作品制作の糧ともしていたのでしょう。鳳雲は桃山時代の書について「「古筆」の優雅な雰囲気と異なる「新しい方向」を見せてくれるもの」と注目しており、このコレクションからも鳳雲が桃山文化を尊重する姿勢がうかがえます。新しい時代の作品形式に合った新しい時代の仮名が要求されると考えていた鳳雲は、この時代の書を作品制作の原点とも考えていたのでしょう。(田村彩華)

     

    【掲載作品】成田山書道美術館蔵 伊藤鳳雲コレクション
    ※1 「二月堂焼経」 奈良時代 紺紙金字 一幅 21.9×49.6㎝
    ※2 藤原俊成筆「久安切」 平安時代 紙本墨書 一幅 26.7×27.6㎝
    ※3 本阿弥光悦筆「書状」 江戸時代 紙本墨書 一幅 28.5×38.6㎝
    ※4 伝角倉素庵筆「後撰和歌集巻」 江戸時代 彩箋墨書 一巻 25.8×367.0㎝
    ※5 近衛信尹筆「賦青何連歌巻」 江戸時代 彩箋墨書 一巻 17.8×431.0㎝