20-1 江戸の墨跡 黄檗宗の書
漢字が中国から伝わる過程において、大きな役割を担ったのは仏教の存在でした。布教や修行のための往来や、経典の筆写、研究などを通して漢字は日本人に許容されていったのです。その後も正しい教義を日本にも伝えたいという渡来僧や留学僧の情熱が、事あるごとに間接的に大陸の書法を日本に伝える効果をもたらしました。
今週のテーマとなる江戸時代は、時代を超えて日本に伝来した僧侶の書が多様な個性を発揮した時代でもありました。
独立性易(1596-1672)
中国浙江に生まれた独立は、医業を生業とし、詩書画に優れた文人として明末清初の大陸の気風の中でその才を磨いていました。後年、清の統制から逃れるために長崎に渡り、そこで黄檗僧の隠元と出会い、帰依しました。ほぼ60歳という晩年での出家だったため、独立の書は他の黄檗僧とは一風異なる雰囲気を醸し出しています。この作品のように、強さと柔らかさを併せ持った瀟洒な風はやがて江戸唐様の祖と目される北島雪山らにも影響を与えました。また、篆刻を日本に伝えたことでも知られています。
百拙元養(1668-1749)
俗姓は原田氏。京都に生まれた百拙は、15歳で出家し、臨済宗の僧となりました。のちに師とともに黄檗宗の高泉性潡について黄檗宗に転じました。洛北紫野の楊岐庵に住した百拙は、熱心な古筆研究で学書の型をつくったと評される予楽院近衛家熙と生涯にわたって交流を深め、詩書画の世界でも名を馳せました。肉太の線で直截に書き上げた書はどこか清々しい明るさを感じます。
大胆な筆致で、闊達な印象を与えることが多い黄檗の書は、現代の大字書にも繋がるものがあるのではないでしょうか。(山﨑亮)
【掲載収蔵作品】
※1、独立性易 七言詩 1幅 紙本墨書 30.6㎝×33.8cm 菅間健之氏寄贈
※2、百拙元養 禅語 1幅 紙本墨書 119.1㎝×17.4㎝ 中島晧象氏寄贈