20、江戸の墨跡

20-2 江戸の墨跡 臨済宗の書

鎌倉時代に中国から伝わった臨済宗の教えは、鎌倉五代執権、北条時頼の蘭渓道隆への帰依や後醍醐天皇、足利氏が尊崇した夢窓疎石などの時代を経て、国内に広まりました。室町幕府の衰退に伴い、一時は勢いに翳りが見られましたが、江戸に入り白隠が登場すると、その勢いを取り戻しました。

 

白隠慧鶴(1685-1768)

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尊円法親王や寺井養拙の書を学んだ白隠ですが、妙心寺派の雲居希膺の書を見て、筆法よりも人間的な魅力を大事にすることが重要だと思い至ったとされています。この作も、四角形に字形を整えて書くことを強調していて、白隠の書の特徴がよく表れています。

 

鎌倉、室町時代に臨済宗が一大勢力を誇った要因は、京の公家や、幕府の枢要を担う上流階級の武家から信仰されたことが大きな一因でした。そのような一端が垣間見られる一作がこちらです。

 

一絲文守(1608-1645)

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一絲 動画

 

公卿、岩倉具堯の第三子として京都に生まれた一絲は、18歳で得度し、沢庵宗彭に従い、その後妙心寺の愚堂東寔の法を嗣ぎました。没後は霊元天皇から、定慧明光仏頂国師の号を授けられています。一絲の語録『仏頂国師語録』に「山居上」の題で収められる十首を1巻に書いたこの作は、本格的な和様で、書き進めるうちに筆の動きが大きくなり、表情が豊かになっています。当代を代表する知識人として知られた近衛信尹や烏丸光広らと親しく交流した経歴に相応しい、時代を代表する能書の一人といえるでしょう。

 

山岡鉄舟の題箋が付されています。

 

山岡鉄舟題箋

 

嶺南崇六(1583-1643)

俗姓は守永氏。蒲生忠知の帰依を受けて大心院を再興後、徳川家康に仕え、関ケ原の戦いにも従軍した嶺南は、慶長15(1610)年に東禅寺の住持となり、のちに妙心寺117世となりました。この作は東禅寺の開山から妙心寺に昇住する寛永期までの揮毫と考えられます。唐様を学んだと思われる書は、独特の風を出しています。

 

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誠拙周樗(1745-1820)

俗姓は堀田氏。月船禅慧の印可を受け、38歳で円覚寺前堂の首座となり、円覚寺中興の祖となりました。岸駒や松平不昧らと交流し、香川景樹門の歌人としても知られました。無駄な線を省いた穏やかながらも一画一画が確かな筆遣いは、唐様の書風がはっきりと感じられ、広く開けられた字間からは余韻を感じます。

 

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江戸時代から臨済僧の墨跡は、お茶席での掛物や禅思想を体現したものとして愛好されてきました。書法にとらわれ過ぎない書き振りは、書の表現の豊かさを改めて感じさせてくれます。(山﨑亮)

 

【掲載収蔵作品】

※1、白隠慧鶴 君 1幅 紙本墨書 45.8㎝×58.8㎝ 今澤茂彬氏寄贈

※2、一絲文守 山居十詠 1巻 紙本墨書 29.9㎝×262.4㎝ 菅間健之氏寄贈

※3、嶺南崇六 維摩居士図讃 1幅 紙本墨書 106.0㎝×52.1㎝ 菅間健之氏寄贈

※4、誠拙周樗 知足第一富 1幅 紙本墨書 33.1㎝×11.0㎝ 菅間健之氏寄贈