1、青山杉雨と成瀬映山

1-2、青山杉雨「金剛不壊」

 

成田山新勝寺の光輪閣大広間に、大きな「金剛不壊」が掲げられています。

 

 

※光輪閣大広間は写経大会や講社の坊入に参加すると入室できる間です

 

成田山の写経大会に参加した一昨年、その間が会場でしたが、改めて魅入るものがありました。
威風堂々たる「金剛不壊」を背に、写経する…。おのずと姿勢が正されます…。

 

「金剛不壊」はその文字通り【堅固さ】を表しています。
仏教的に言えば目の前の苦楽に一喜一憂することなく、惑わされることなく一心に菩提を求める堅固な心、様々な罵詈雑言(ばりぞうごん)や理不尽にも負けない心、そのような事を意味するのではないでしょうか。
まさに不動尊信仰者の心構えである盤石の決意に相当するものです。

 

とは成田山新勝寺・中峰照希僧都のお言葉。

 

この作品は、前回ご紹介した青山杉雨の手になるものです。

静的な甲骨や金文に動きを注ぎ込み、「古代文字」の書表現を拡げた杉雨が、その成熟期に書いたこの楷書の大作は、その他の代表作にみられる書きぶりとは趣の異なるものでありながら、その時期に渉猟した古典の手法を感じさせる、もう一つの代表作といえる作品です。

 

続いてもう一つの「金剛不壊」。
こちらは第41回謙慎(けんしん)書道会展の出品作です。

 

 

 

 

 

杉雨の代表作の一つとされている第9回日展の出品作「萬方鮮」の翌翌年の作品です。
「一作一(面)貌」とは杉雨の代名詞的なことばですが、同じ文字を作品にしてもまったくの別モノのようです。
ご本人談ではそれが「ねらいであり理想」といいます。
明代の徐青藤、徐渭に影響を受けているそうです。(「徐渭の芸術」『青山杉雨文集』第一巻より)

 

戦後の日本だけでなく明以降の中国にもいえることですが、書は壁面に掛ける形式となったことで装飾性を求めた結果、視覚芸術として発展していきました。

 

『墨18号』昭和54年 芸術新聞社より

 

この「金剛不壊」、
…字なのですが、
画のようでもありますよね。

 

杉雨は晩年、これからの書を追求する上で「造型美」を自覚しています。
ただ、戦後のモダンな生活に軸足のすべてを移すのではなく、時には江南や台湾などへ足を運び古典的な文人の思想を肌で感じとるなどしたといいます。

また、『画禅室随筆』を精読したり、『文具曼陀羅』や『明清書道図説』など執筆活動も盛んでした。

 

 

「歴史的展開をきちんと理解した上で、しかも現代に生きる者としての生活感覚、美意識といったものに立脚した作品をつくっていくのでなくては、現代という時代に意味をもつ仕事とすることはできないでしょう。」(「青山杉雨氏に聞く-書道界はこれから」『青山杉雨文集』第五巻より)

 

青山杉雨の書業を振り返ると、戦後の書壇の様相がわかります。

 

令和という新しい時代に突入しました。
昭和から平成の時代の書を見直してみると、また新たな価値観が芽生えそうですね!(谷本真里)

 

 

【ご紹介した作品】
「金剛不壊」 成田山新勝寺蔵 1987年 4面(各82.4×80.2)
「金剛不壊」 成田山書道美術館蔵 1979年 第41回謙慎書道会展 1面(74.2×151.0)

 

当館では、青山杉雨氏歿後に作品の多くをご寄贈いただきました。

 

 

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👇当館では成田山の寺宝を展覧する機会もありますので、ぜひご注目ください

過去の展示の一端をご紹介

 

 

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👇成田山情報

第84回 写経大会は 【在宅参加】です。

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コロナの収束を願い、写経します。合掌。