19、古谷蒼韻とそのコレクション

19-4、コレクション

 

古谷先生は、平成25、26年にかけて手元に置いていた作品と拓本類、図書や文房四宝などを手放し、当館に寄贈していただきました。そのコレクションは、拓本、原拓類42件、影印類188件、墨8件、硯16件、水滴3件、印材73件、紙65件です。

 

法帖

法帖類は体系立てて蒐集することを目的としたのではなく、自身の学書のために集めていたようです。丁寧に扱っていたのでしょう。どれもきれいな状態で遺っています。
古谷先生は「できるだけ王羲之の書を臨書することに勉めている。それも搨摹本や臨本ではなく拓本である。一番好きなのは澄清堂帖、なかでも廉南湖本が最もこのましい。ついで淳化閣帖中の羲之諸帖、そして上野本十七帖といった順である。最近は印刷技術がすすんで本物そっくりの複製本が出版されて大変有難い。しかし私は、真蹟や撮摹本・臨摹本の印刷物での臨書は余り好きでない。(中略)拓本を習うところに書を学ぶ妙味があるように思えてならない」(『王羲之書蹟大系』東京美術、1982年)と述べています。

影印本とは異なる独特の趣のある法帖を手元に置いてその風合いを味わいながら学んでいたのでしょう。王羲之系統の法帖が充実し、王羲之を中心に帖学を本流とする姿勢を示していた作家が強い関心を抱いていたことがわかります。

当館所蔵のコレクションをいくつかご紹介します。
「南唐澄清堂帖」(影印本)

 

 

よく臨書していたという「淳化閣帖」巻七、八。こちらは菊池惺堂旧蔵のもの。

 

 

 

王羲之「十七帖」(影印本)
このほかにも、師の中野越南から譲り受けた「十七帖」を大切にしていたといい、好んで学んだ古典のひとつ。
多くに「蒼韻墨縁」の印が押してあります。

 

 

 

「興福寺断碑」(影印本)題箋は本人によるもの。

 

 

 

 

「王羲之の書は学ぶにしても拓本ですから、線質、境地がわかり難い。それで肉筆を併習した方がいいと思って寂厳を選んで学んだ」(『墨』63号、1986年)といい、拓本からはわからない生きた線を習得するために、王羲之と寂厳を1日ごとに臨書していたこともあったといいます。

 

 

印材

コレクションのなかでも印材が最も充実しています。

 

この「三獅紐田白」は、かすかな象牙色のなかに蘿葡紋が浮き出した材が獅子紐の彫りと調和して、コレクション中でも屈指の品格を示しています。
河野隆氏は「一寸三分角上の三獅鈕はこんもりとした豊かな作りで、熟視すれば毛並みの繊細な表現にも技を尽しており、材を手にした時のたっぷりとした重量感と、材から立ち昇る気格に格別の満足感を抱かせるものである。恐らく日本で見ることのできる最高の田白の一つであろう」と評しています。

桐材印盒扉には「明坑三獅鈕田白章」と墨書された表題があります。

 

また、古谷先生は田黄の印材を好み、この田黄「静質荘親王永瑢璽」のような角材も多く見受けられます。

 

 

貴重な材は産出した原石の状態のままのものが多いですが、このような角材は周囲の材を落としてきれいな正方形に整えているため、そのような観点からも印材としての価値を高めています。

黒檀製の内盒扉に「静質荘親王永瑢璽」の題字が金文で墨書されており、乾隆帝の第六子、康熙帝の孫の永瑢の所蔵品であったことがわかります。詩画に秀で、天文に通じた王族遺愛の印材として愛蔵されてきた名品です。

 

 

紙のコレクションは手書きの臘箋のような彩箋や、枯れた白の画仙紙が多く、制作のために用意していたのでしょう。


乾隆年仿金粟山蔵経紙

 


両面腊箋

 

この腊箋の1枚は、「京都松華堂監製」と裏印が押してあります。蒐集した紙は実際に作品にも使用していました。

 

 

杜甫「九日」昭和45年第2回日展

師の越南風を抜け出そうと取り組んだ木簡研究の成果が表れた作です。本人は「木簡の草隷と隷意をもった草書とを調和させながら、書き進めた横物である」(『墨』61号)とコメントし、字形を追うよりも勘でとらえて木簡風に書いたといいます。このほかにも彩箋に書いた作品が遺っています。

 

 

古墨の数は8丁あまりと多くはありませんが、この乾隆御墨に代表されるような明清の格の高い墨が見られます。

 

乾隆御墨仙楼閣

 

 

印材に角材が多いように、硯も材をぜいたくに使った長方硯を好んでいたようです。


端渓灰蒼色太史硯

 

法帖のコレクションは学書の資として、紙は制作のために、そのほかの文房四宝は書斎に彩りを添え、芸術の質を養い高めていたのでしょう。(田村彩華)