26、伊藤鳳雲とそのコレクション

26-3、コレクション

 

伊藤鳳雲は古筆や古写経、江戸時代の本阿弥光悦、近衛信尹などの書を愛好し、蒐集していました。特に、江戸時代初期の書状や懐紙などの人情味のある表現を好んだのでしょう。その要素を作品にも取り入れたようです。

 

鳳雲は「大聖武」、「二月堂焼経」、「紺紙金字法華経」と整斉な楷書で書かれた写経を手元に置いていました。師田中塊堂ゆずりの古写経愛好の一端をうかがうことができます。

 

※1 二月堂焼経

 

 

紹介する「二月堂焼経」は、東大寺で行われる修二会の火災で天地が焼損したことからこの名が付けられました。(「二月堂焼経」の解説はブログ№12-4をご覧ください)
この断簡も上部が半分ほど失われ、江戸時代に補修された紺紙が広く残っています。軸の状態も良い一幅です。鳳雲が箱書きを施しています。

 

 

 

また、古筆は伝藤原俊忠筆「二十巻本歌合切」、藤原俊成筆「日野切」、伝二条為世筆「萬代切」など平安時代末期から鎌倉時代にかけて独自の風が認められるころのものが多く確認できます。鳳雲は『かな研究』で毎号古筆を紹介しており、大字仮名を学ぶにも古筆が基本だと述べ、自身もこうした古筆を手元に置いていました。

 

※2 久安切

 

 

この藤原俊成筆「久安切」は現存する断簡が少なく珍しいもの。俊成晩年の筆跡と思われ、大ぶりの文字は奇癖に富んでいます。二重箱に収められ、内箱には有職故実の研究者で能書として知られる出雲路敬通の箱書きがあります。

 

 

 

鳳雲は桃山時代の書を特に好み、そのコレクションも充実しています。

 

※3 本阿弥光悦「書状」

 

 

書画や美術工芸品の創作活動を率いた本阿弥光悦(1558-1637)は、江戸時代初期、寛永文化を代表する存在。書だけでなく、絵画や漆、陶磁器などを手掛けたことでも知られています(確かなのは書と陶磁器だけ)。俵屋宗達による下絵を施した華やかな料紙に筆を走らせ、独特の世界を表現した「鶴図下絵和歌巻」は、光悦の書の代表作としてあげられるでしょう。

一方で今回紹介する書状は、宗達の料紙の世界とは異なる素紙で、日常の光悦の書が垣間見られます。膳所に向かう日を問い合わせた手紙で、慎重な筆運びです。時折筆が滞るように見受けられるのは、50代後半に患った中風の影響からかもしれません。

鳳雲は、光悦について「大画面主義に通ずるものがあり、装飾に富んだ新しい感覚をもった人」(『かな研究』2)と述べます。桃山美術のなかでも特に障屏画に注目した鳳雲は、その構想が近代的であり、大きな画面を一層豪華にしている点において圧倒的な感銘を受けたといいます。その時代の空気のなかにいた光悦に心惹かれ、その書だけでなく、多岐にわたる仕事にも関心を抱いていたようです。「光悦の字そのものを真似るというよりは、あの雰囲気を真似したいと思いますし、消息等もとてもいいと感じます」(『寛永の三筆について』平成12年)と鳳雲はいいます。
光悦の書状の簡素な趣は、枯れた水墨画を連想させ、その雰囲気を鳳雲は好み求めたのでしょう。

 

 

次に紹介するのは、光悦と近い関係にあり、書風がそっくりな伝角倉素庵(1571-1632)の「後撰和歌集巻」です。

 

※4 伝角倉素庵「後撰和歌集巻」

 

 

線の太細、文字の大小の変化に富んだ自由闊達な風は光悦と見分けがつかないほどよく似ています。素庵は光悦の門下とも言われていますが、パトロン的な役割を果たした人物でもあることから、光悦が素庵の風を学んだとの見解も。この作に署名はないものの、箱書きや極札には「角倉素庵筆」とあり鳳雲も素庵の筆と認めています。

 

伝角倉素庵「後撰和歌集巻」箱書き 左:表 中央:裏 右:裏の極札の拡大

 

藍、黄などの染紙に、表は藤や梅枝など大柄で絵画的な文様を、裏には雷文や七宝繋などの小柄な幾何学文様などを一面にまんべんなく雲母で摺り出した料紙は、平安時代の繊細で優美な料紙とはまた異なった華やかさがあり、文字ともよく合っています。継ぎ目には「紙師宗二」の黒印が確認でき、この料紙にも俵屋宗達の存在が関係しているものと考えられます。

 

伝角倉素案「後撰和歌集巻」紙背

 

「紙師宗二」の黒印

 

 

こちらも料紙のきれいな作、寛永の三筆のひとり、近衛信尹(1565-1614)の作品です。

 

 

 

 

鳳雲は、「かなの大字の先駆者は近衛信尹である。その筆致はきわめて奔放で、流麗なかなの中に豪快な気象をもり込み、しかも書品の高いことは全く敬服せざるを得ない」(『かな研究』2号)と評し、一目置いていました。藤原定家や禅林墨跡などの書をもとに自ら開拓した書風で、肉太の線と扁平な文字が特徴的な三藐院流。
金銀泥で月や草花などを描いた料紙に、慶長19年5月に古田織部とのあいだで行われた百韻連歌を信尹が書写したもので、後に巻子本に仕立てられています。一紙ずつ書いてから継ぎ合わせますので、紙継ぎ直前は行を追い込んで書いています。
信尹は同年11月に、織部は翌年に死去しており、二人の最晩年の作。その二人の親しい交友関係を知ることのできる貴重な一巻です。

 

 

今回は数点の紹介になってしまいましたが、このほかにも武野紹鴎、沢庵宗彭、烏丸光廣、近衛信尋などの書状や懐紙、村上華岳、富田渓仙の絵画、呉昌碩の画賛などがあります。これらのコレクションからは鳳雲の嗜好が見え、書斎で愛でるとともに、作品制作の糧ともしていたのでしょう。鳳雲は桃山時代の書について「「古筆」の優雅な雰囲気と異なる「新しい方向」を見せてくれるもの」と注目しており、このコレクションからも鳳雲が桃山文化を尊重する姿勢がうかがえます。新しい時代の作品形式に合った新しい時代の仮名が要求されると考えていた鳳雲は、この時代の書を作品制作の原点とも考えていたのでしょう。(田村彩華)

 

【掲載作品】成田山書道美術館蔵 伊藤鳳雲コレクション
※1 「二月堂焼経」 奈良時代 紺紙金字 一幅 21.9×49.6㎝
※2 藤原俊成筆「久安切」 平安時代 紙本墨書 一幅 26.7×27.6㎝
※3 本阿弥光悦筆「書状」 江戸時代 紙本墨書 一幅 28.5×38.6㎝
※4 伝角倉素庵筆「後撰和歌集巻」 江戸時代 彩箋墨書 一巻 25.8×367.0㎝
※5 近衛信尹筆「賦青何連歌巻」 江戸時代 彩箋墨書 一巻 17.8×431.0㎝