28、書と人

28-3、夏目漱石「菅虎雄宛書簡」「五言二句」

 

夏目漱石 菅虎雄宛書簡 大正14年

 

 

 

 

拝啓。談書会の件につき御高配を煩はし恐縮の至に存候。会誌四冊正に到着大に今情を慰め申候。楷法溯源といふものも大兄の御命令とかにて持来り候。買つて買へぬ事はなけれど夫程必要のものにも無之候故他日に譲り申候。先日御帰りの節は火鉢額懸物にて嘸かし御難儀の事と存候。右御礼迄。匆々頓首。十二月二十二日。金之助。虎雄様。
二伸。此度の御手紙は前年度のものに比し遥かに上出来に候。あの分ならば友達の縁故を以て保存致し置可申候。猶斯道の為め御奮励祈候。珍重々々。

 

 

これは大正4年12月22日付で夏目漱石(1867慶応3-1916大正5)が親友の菅虎雄(1864-1943)に宛てた書簡。菅はドイツ語学者で書家でもあり、漱石の墓標を揮毫した人物です。当時、第一高等学校の教授を務めていました。菅の勧めで日下部鳴鶴らが中心となって結成した談書会の研究誌『談書会誌』を購入したことなどを報告しています。漱石の書に対する興味と感心がうかがえる一通です。

漱石はほかにも『書苑』の雑誌を購入しており、当時刊行されていた最新の情報を取り入れようとしていた様子がわかります。「石鼓文」「礼器碑」「興福寺断碑」などの碑帖や、王羲之、顔真卿、懐素、文徴明、呉昌碩などの法帖や印刷本も手元に置いていました。
『漱石全集』の表紙は、愛蔵の「石鼓文」の拓本を自らデザインして作っています。もとは『こゝろ』の表紙で、それが現在の全集の表紙に採用されており、箱には「心」の文字を篆書で書いています。

 

夏目漱石『こゝろ』 初版本 成田山仏教図書館蔵

 

 

漱石は第一高等学校時代に正岡子規(ブログ28-2参照)について俳句を学び、明治24(1891)年の東大在学中は子規の添削指導を受けています。部屋には良寛や松山の僧・明月の額などを掛け、書画だけでなく文房具についても同様に関心を抱き、筆は長鋒の軟毛を好んだようです。書画への関心は制作だけでなく、蒐集や鑑賞にも広がっており、こうした活動を通じて手と目が同時に磨き上げられていったのでしょう。

 

有名になるとあちらこちらからの依頼で、捌ききれないほどの揮毫をこなしています。この一幅も地方の方の求めに応じて書いたと思われる晩年の作です。

 

夏目漱石「五言二句」

惜花春起早。受之夜眠遅。

 

明治43(1910)年、生死の間をさまよった修善寺の大患後、書画や俳句の創作に取り組み、文人的な傾向を強めた漱石は、大正3(1914)年ころ良寛の屏風を見て強い影響を受けます。まだ現在のように良寛が評価されていない時代に注目し、晩年は良寛の作品を手元に置いていました。しかし、良寛の影響が濃く表れた作は一時的だったようで、その後は自身の思うように自由に書いています。当時は中村不折や河東碧梧桐など六朝の風が流行していました。漱石も梧竹や副島蒼海らの作品を所持しており、積極的に六朝風の書を学ぶことはありませんでしたが関心を抱いていたことは確かです。良寛も梧竹も副島も伝統的な書の様式からはやや外れた表現で、漱石は書家とはまた異なる視点から書を捉え人間性や造形的な表現に惹かれていたのかもしれません。
飾らずありのままの姿を写した漱石の書は、正直な生き方、繊細な人柄がうかがえるような気がします。(田村彩華)

 

【掲載作品】
夏目漱石 菅虎雄宛書簡 大正4年 紙本塁書 一通 17.8×136.0㎝
夏目漱石 五言二句 紙本墨書 一幅 140.8×39.6㎝