28、書と人

28-4、川端康成「有由有縁」

 

 

川端康成(1899-1972)が好んだ言葉でよく揮毫したという「有由有縁」
「生きてゐるかぎり、人はいつなにごとがおこるかわからない。いつどこでなにびとに出会ふかわからない。時、所、人、物とのこの世でのめぐりあひ、邂逅、遭逢が人生のすくなからぬ、小さからぬ部分を占めるとは、私の体験でもあり、信仰でもある。(中略)仏法語の「有由有縁」にほかならない。良寛の詩の「我生いづこより来り、去つていづこにゆく。……空中しばらく、我あり……縁に従つてしばらく従容す。」といふところか」(川端康成「書」、「新潮」昭和46年5月号)と川端は述べます。人との出会いや物事の関わりは必然的な理由があって縁を結んでいるということでしょう。
2歳のときに父を、3歳のときに母を肺結核で亡くし、その後祖父母に引き取られますが7歳のときに祖母が死去。10歳で姉を亡くし15歳の時に祖父が亡くなり、孤児となった川端は、不遇の境遇から文学の道を志し、多くの人との出会いや影響を受け、美や愛への転換を探求した数多くの名作を遺しています。人との繋がりを意味するこの言葉は川端の心に深く刻まれていたのかもしれません。
やわらかな筆にたっぷりと墨を含ませ、一文字ずつ慎重にじっくりと気を込めて筆を運ぶこの作は、亡くなる前年のもの。川端としては比較的大型の作品です。

 

小説家、文芸評論家として知られていますが、書に親しみ、人からの求めに応じて筆を執ることも多くありました。小説の題字なども自ら揮毫しています。
東京帝国大学国文学科の時代に菊池寛に認められた川端は、文芸時評などで頭角を現します。卒業後は、横光利一らと『文藝時代』を創刊、新感覚派の作家と注目され、『雪国』や『伊豆の踊子』『山の音』など数々の小説を生み出しました。日本人初のノーベル文学賞を受賞したことで有名です。

多彩な美術品をコレクションしていたことでも知られ、川端が入手した後に国宝に指定された池大雅・与謝蕪村「十便十宜帖」や浦上玉堂「凍雲飾雪図」そのほかにも縄文土器からロダン、古賀春江らの現代美術にいたるまで幅広い美術品を蒐集していました。また、夏目漱石、太宰治、谷崎潤一郎、三島由紀夫ら作家の書幅や書簡なども手元にあり、書を通じた作家との交流も垣間見えます。

書や画には人格や魂が宿ると考えていた川端は、「美術品、ことに古美術を見てをりますと、これを見てゐる時の自分だけがこの生につながつてゐるやうな思ひがいたします(中略)美術品では古いものほど生き生きと強い新しさのあるのは言ふまでもないことでありまして、私は古いものを見るたびに人間は過去で失つて来た多くのもの、現在は失はれてゐる多くのものを知るのであります」(川端康成「反橋」、「風雪別冊」昭和23年10月号)といいます。生命を宿した作家たちの作品から人格をみようとした川端の感覚は、それまでの経験から培われてきたのでしょう。その幅広いコレクションは川端の美術に対する造詣の深さを物語ります。
この晩年の作からは愛玩した池大雅の書が背後に見え、川端らしい言葉といい、川端の大作といえるのではないでしょうか。(田村彩華)

 

【掲載作品】成田山書道美術館蔵
川端康成 有由有縁 昭和46年 紙本墨書 一面 64.4×64.4