23-1 印と印譜 中国の印譜
印の起源はとても古く、紀元前の西アジアで用いられた封泥に遡るとされます。出土事例からすると戦国期に中国に伝わったと考えられる印章は、西方諸国と接触の多かった秦が中国を統一し、中央集権の国家を建国したことで中国全土に広がることになりました。秦の始皇帝は文字を小篆に統一し、印章の字体もそれに準じさせ、身分に応じて材質や紐の異なる印を使用させることで新たな国家の枠組みを浸透させました。この流れは漢王朝に引き継がれ、印章制作は国家的事業として飛躍的な発展を遂げました。当時の技術の粋を結集した方寸の世界は、今日に至るまで後世の人々の必修の古典として捉えられてきました。また、
長い間実用的に使われることが多かった印章ですが、宋代に入ると徽宗皇帝が『宣和印譜』を編むなど篆刻への研究が進んできました。
当館の収蔵印譜をご紹介します。
斉魯古印攈
陳介祺に学んだ清の高慶齢が所蔵の印を光緒9(1883)年に編集、成譜したもので、子の高鴻裁が増補しています。現在の山東省から出土した古印を中心に収められ、春秋期の先進国であった斉と魯両国の名を冠しています。当館には掲載写真の他2件の斉魯古印攈を所蔵していますが、桑製の落とし込み式慳貪箱に収められた写真の1件が最も状態がよく、鈐印の精妙さなどが際立ち、当時の印譜中で最良のものと評された姿がよく解ります。
もう1点、
金薤留珍
金薤留珍(きんかいりゅうちん)とは金の箱に入った珍しい宝を指します。清の乾隆帝の時に勅撰の印譜として編まれ、秘蔵されていたものを民国15(1926)年になり、時の故宮博物院院長、荘蘊寛が同じ形態、同じ鈐印順で成譜したものです。ここに収められた印は現在、故宮博物院に収蔵されています。
この印譜は帙題箋から園田湖城主宰の同風印社社友であった京都松吉旅館の主人、松谷石韻の旧蔵であったことが題箋から解ります。
5帙中の3帙に、右から園田湖城、北村春歩、森岡峻山による題箋が付されており、石韻の交友の程が窺われます。
精緻で深みのある古印は、時代を超えて篆刻家が憧れる方寸の世界だったようです。
今回は中国の印譜をご紹介しました。当館は数多くの印と日本の印譜も収蔵しています。印については作家の自用印として使用されていた印が作品とともに寄贈される場合が多く、篆刻1顆1顆の魅力に加え、旧蔵者の書を検証する手掛かりにもなっています。こちらはこの後の回でご紹介します。(山﨑亮)
【掲載収蔵作品】
斉魯古印攈 光緒9(1883)年 2夾板4冊
金薤留珍 民国15(1926)年 5帙24冊